「ベビカムQ」アンケート*では回答者全体の3割の方が夫立ち会い出産を経験、または予定されていました。さて、夫が分娩に立ち会うってどんなことなのでしょうか? 検討中の方はもとより予定していない方にとっても、夫立ち会い出産を長く見守ってこられた堀口先生からのメッセージが、夫婦ふたりでこれから始めることになる育児について、じっくり話し合うきっかけになるといいですね。
*「ベビカムQ」について:「ベビカム」の中で行ったアンケート調査。98年11月4日から15日までの12日間で、これから妊娠したい方も含めて、約700人もの方々からご回答いただきました(月刊ベビカム5号で特集)。
夫立ち会い分娩という言葉は、これからお産をしようという方なら、たいてい一度は耳にしているのではないでしょうか。分娩室に入って赤ちゃんがもう生まれようとする時に、夫が妻の分娩室にすべりこんで、ふたりの子供が生まれる瞬間を一緒に迎えるというのもそれなりに感激的なことです。 しかしその感動だけではなく、お産をずっと見守り、たったふたりだけですが我が子の育児に関わった経験からすると、夫立ち会い分娩が例えば陣痛室での長く孤独な戦いを癒すものであり、また育児をふたりでどの様に進めていくかを考えるきっかけになるとよいと思うのです。これは私ひとりで考えたことではありません。愛育病院で始めた「夫立ち会い分娩のための出産準備クラス」に参加した方々から教えられたことなのです。
お産をする人のそばに誰かがいる
1966年9月東大産科婦人科学教室の月例研究会で、無痛分娩の草分けとも言うべき故・長内国臣氏(当時横浜警友病院産婦人科部長/慶應義塾大学講師)が「産科麻酔について」と題する特別講演をされました。その最後に次の様なコメントをつけ加えられたのです。「アメリカに留学している医師の夫人に、アメリカでのお産の感想を尋ねたところ、『無痛分娩だったし、至れり尽くせりでしたが、一番お願いしたかったのは誰かにずっとそばについていてもらうことでした』という答えでした」。これが私の記憶の底におぼろげに、しかし強い印象を持って沈んでいました。その後、お産・無痛分娩・立ち会い分娩などに関わる度にこれを思い出すことになります。私のお産の原点のひとつです
先の見えない不安の中で、しかもひとりでというのは大変なことだろうと想像はできます。医療側はできるだけ先が見える様にしなければなりません。同時に誰か信頼している人がそばにいることは産婦にとっては大きな元気と勇気をもらえることでしょう。1980年の暮れに始まった愛育病院の夫立ち会い分娩のコンセプトも「そばにいるだけでよい」でした。一番信頼でき頼れる人=夫(のはず!)がそばにいることを感じられるだけでよいのではないかと思ったのです。その上にできれば腰の圧迫やマッサージなどができればよい、と事前のご夫婦との話し合いの時に伝えました。ところが2年半程経った時に行ったアンケート調査の結果、「立ち会うことに意義も感じられず、役にも立たなかった」という方が7.5%もあったのです。 出産に臨むふたりが特別なことをやろう、やってもらおうとはりきり過ぎることが、かえって挫折感を持ってしまう原因となるのではないかと思われました。
いつものふたりで
そこで、いつものふたりの関係そのままに支え合い、いたわり合うことだけでよい、ただし妊娠・分娩という今までの日常とは異なった状況をどの様に認識しているか、行動できるかが問題となります。そういう心構えを医療側がふたりにうまく伝えることが必要だと考えました。分娩がどの様に進み、どのようなことが産婦のからだと心に起こるのか、夫はそこで何ができ何ができないのかを伝え、その上で「いつものふたりで」支え合えればよいのだと面接の時に話をしました。 これと並行して、助産婦と医師が一緒になって、増加しつつあった立ち会い分娩希望者にどの様な準備をしてもらえばよいのかの検討も始めました。3回のテストクラスを含めておよそ10カ月の議論のあとに「夫立ち会い分娩のための出産準備クラス」を始めたのは、1986年12月でした。
妊娠・分娩は育児の準備期間
妊娠出産は育児の準備の期間ととらえ、夫婦から家族へと変わり、そして生活のリズムも今までとは変わることをハッキリと認識することの必要性を伝えることをクラスのコンセプトとしました。その結果、このクラスの受講者の感想の中に「愛育病院でお産をする人たち全員がこのクラスを受けられる様にしてほしい」という意見が寄せられる様になりました。 夫婦ふたりの中に子どもが加わり、新しい家族がスタートする。それ自体が大きな変化ですし、子どもをどのような環境の中に迎え入れるかを話し合って決めることは大切なことだと思われます。多くの方から「出産・育児ということについて、ふたりで話し合い、相談するきっかけを作ってもらった」という感想をいただいたのです。
「今日はこんなことがあった」「昼のニュースでこんな話をしていた」などだけでも日々の夫婦の生活は過ぎていきます。あ・うんの呼吸といってもよいのでしょうか。しかし、私自身の結婚生活の経験からも、また、このクラスに関わった方々の話からも、子どもが生まれるということ、その子どもを育てるということがあ・うんの呼吸だけでは上手くいかないのではないかと再認識しました。だからこそ立ち会いクラスで「ふたりの子どもをどんな環境の中に迎えようと思うかを、一度立ち止まって考えよう」ということです。しかしクラスを運営する側が、ただ「考えてください」というのでは今までの母親学級と同じことになってしまいます。「どういうお産をしたいか」と夫婦互いに話し合うことで、そこから先のことについても考えていけるきっかけを作ることこそ大切だと思います。 その結果、生まれる時に夫がその場にいることが大事と考えるのであれば分娩室に入ればよいのであって、「父親になるからには分娩に立ち会わなければならない」と必ずしもこだわらなくてもいいと、クラス参加者の中でも考えられる様になりました。
子どもが立ち会うこと
夫だけでなく、上の子どもも、家族の一員なので、一緒に立ち会うことも自然のことだと考える人もいます。少ないケースですが、希望に応じて何家族かの子どもの「立ち会い出産」を取りもった経験からの話ですが、私は「上の子を立ち会わせたいのですが」という希望があった時も次のようにお話ししています。 「あなた方にとってそれが必要であるならば、どうぞ。ただしこれこれ然々のことがあるのでそれを考慮に入れて考えてください。もし立ち会わせたいということが決まったら、顔合わせをしておいた方がよいので一度会わせてください。それとできれば子どもさんも一緒に検診に来るとよいですね」 これこれ然々のこととは、
- 1)子どもを寝入りばなに起こして連れてくる様な場合も起こりうること。
- 2)いつものお母さんと違ったところを見せることになるかもしれないこと。
- 3)医療者が子どもの面倒を見ている余裕は、おそらくないと思われること。
- 4)そのために夫が妻のそばを離れなければならないこともあるかもしれないこと。
- 5)7~8時間あるいは時には丸1日かかることもあるかもしれないこと。
などでした。
こういうふうに話をしていくと、家族の方でもいろいろの場合を想定して、子どもが立ち会うことが、一家にとって必要なことかどうかの結論を出して対応を決めているようです。 はやりの言葉で言えば、インフォームド・チョイス*が大切ということです。
*「インフォームド・チョイス」 (informed choice)十分な情報を得た上で治療法・分娩方法など患者自身が選択すること。
(1999.02)