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加部一彦:子どもの生まれる現場から
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“いのち”の行方 第5回 子どもの「自立」

加部一彦:子どもの生まれる現場から

大型台風に続く大地震。温暖化のみならず、天変地異が続きます。一連の異変は、謙虚さを失ってこの星の上にのさばってしまった人間に対する、自然からの警告なのかも知れませんね。

悪しき個人主義がはびこって

さて、今回から少しの間、人間の「自立」ということについて考えてみたいと思います。最近では私たち日本人の社会も個人主義化が進んできたといわれます。一方、他人に対する「思いやり」はますます薄れ、強い自己主張とエゴイズムばかりが目に付くような気がします。 もともと「個人主義」そのものは一方的に非難されるべきことではないと思いますが、今日本で私たちの身の回りにはびこりつつあるのは、どちらかと言えば「悪しき個人主義」、「究極の自己中心主義」であるように思います。 昨今の教育改革のなかでも、戦後教育の悪しき成果として個人主義はやり玉に上がっていて、今後、このような「悪しき状況」をどのように変えていくのか、議論されています。 しかし、「個人主義」は「個人」が選択した結果なのでしょうか。また、昨今の自己中心主義は「教育の結果」なのでしょうか。「道徳教育」を復活し、若者にボランティアワークを押しつけることで、このような悪弊が本当に解消されるのでしょうか。 自己チューさんの増殖や、彼らが巻き起こす信じられないような出来事を見聞きするにつけ、これらの現象は「日本人の幼児化」と言うか、「自立」不全と言うか、要は「個人主義」と言いながら、そもそも一人前の「個人」が確立されていないことが原因なのではないかと思えてきました。

聞き分けのいい2歳児なんて……

寝返り、はいはい、おすわり、そしてたっち、あんよと、かわいらしく変化してきた乳児も、2歳を越える頃から自己主張を始めます。それも強烈に…。 「2歳を過ぎる頃から急に聞き分けがなくなってしまって…」とか、「最近、言う事をちっとも聞かないばかりか、反抗的で…」など、2歳児健診ではお母さん方の戸惑う声を数多く耳にします。2歳から3歳にかけての1年間は、乳児から幼児へと一段と変貌を遂げる子どもたちが迎える最初の反抗期。聞き分けのいい2歳児とかおとなしい3歳児なんて、所詮は周囲の大人たちにとっての都合のよい思い込みです。 乳児の1年間を通じ、お母さん・お父さんと子どもたちの間には、主に非言語的、身体的な接触を通じ「信頼関係」が形成されているはずです。人と人との関係が友好的、平和的であるために、「信頼関係」の構築が重要であることは、親子関係といえども例外ではなく、それが子育ての中心課題であることに疑いはないでしょう。 そして、そもそも人間同士の「信頼関係」ほど脆いものはない…。それ故に、親子間の信頼関係はさまざまな「試練」に直面し、それを乗り越えながら構築され続けていくものなのです。 2歳に始まる最初の反抗期は、子どもたちから親に突き付けられる、最初の「試練」に他なりません。それ故、私たち大人はひるむことなく、彼らの挑戦を真正面から受け止める必要があります。2歳の子どもを叱る事ができない親が、この先思春期に至ったわが子を説教することができるでしょうか。子育てこそ、毎日の習慣やちょっとした出来事が積み重なった、まさに「生活習慣」の集大成。それ故に、長い年月かけて形作られた「生活習慣」を変えるのはたやすいことではありません。乳幼児期からすでに、子どもたちの「自立」に向けた闘いは始まっているのだと思います(この項、次回に続く)。

(2007.08)

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