保育園・幼稚園でお友達に怪我をさせた時・させられた時
来月4才になる娘と1才になる息子がいます。
上の娘は生後6ヶ月の頃から保育園に通っており、
一時期弟の育休のため退園していましたが、最近また保育園に復帰しました。
さて、タイトルの通りなんですが、先日同じ年の子供がいるママ友と話をしていてこんな話題になりました。
その友人のお子さんは今年4月から幼稚園に通っているのですが、通い始めて間もないころ、
お子さんが幼稚園でお友達に噛まれてしまった、と送迎の時に先生から報告を受けたそうです。
見たところ、その時にはもうどこを噛まれたのか分からない程度に傷もなくなり本人もケロっとしていたそうで、
先生には誰に噛まれたのかを聞いても教えて貰えなかったけれど、その日の夜、
これまで面識のなかった子のお母さんから電話がかかって来て、噛んでしまったことを謝られたそうです。
友人の話しぶりからすると、友人は、噛んでしまった側の子の名前を先生から教えて貰えなかったことに
ほんの少し不満を感じたようで、また、保護者からの電話には、始めは驚いたけれども
丁寧な対応に恐縮し、また自分も加害者になってしまった場合には同じことをしなければ、と感じたようです。
一方、うちの娘の場合には、まだうまく言葉も出ない年の頃から保育園に通っているので、
当然、これまでにお友達との間でそういったトラブルになることも多く、
噛まれたとか、押されて転んだとかいった類の報告を受けることはしょっちゅうで、
引き渡しの際、同時に先生から「防ぎきれなくてすみませんでした」という謝罪の言葉をいただいていました。
うちの園の場合にも加害側の子の名前を親に伝えることはしていません。
また、うちの園では保護者の連絡網のようなものはなく、連絡先が分からないせいもあるのか、
他の子供のお母さんから、わざわざ謝罪の電話のようなものをいただいたこともありません。
そして私もこれまで、保育園にいる間は先生が保護者代わりなのだから、
先生から一言謝罪の言葉をいただければそれで良い(わざわざ二重に謝って貰う必要はない)と思っていましたし、
自分に変なバイアスがかかるのも嫌なので、敢えて加害側の子供の名前を聞きたいと思ったこともありませんでした。
正直、友人のこのエピソードを聞いた時には、(大多数の方にはお叱りを受けそうですが)
「3才、4才にもなれば子供同士の間で謝れるんだから、そんな面倒な電話いらない〜^^;;」とすら思ってしまいました。
子供同士のトラブルを、先生もしっかり把握して、子供同士の間で解決できているのなら親の出る幕じゃないと感じるので、
多分、今後もし、反対に娘が保育園で加害側の子供になったとして、仮にうちの園に連絡網があったとしても、
きっと私は、送迎時にたまたまお会いすれば挨拶かたがた謝ることはするでしょうが、
わざわざ電話をかけてまで相手の親御さんに謝ろうとは思わない(思えない)と思うのです。
こんな私はきっと、友人のお子さんの幼稚園では「無礼な保護者」「無責任な保護者」と思われるんだろうなー(^^;
なんて思いながら、先日は友人の話を聞いていた次第です。
(気心の知れた尊敬し合える友人で、この話で私が友人にどうこう感じた、という話ではありません。念のため。)
そこで皆さんに質問です。
自分のお子さんが保育園・幼稚園でお友達に怪我をさせてしまった時、させられてしまった時、
○ 相手のお子さんの名前を知りたいと思いますか?知る必要はないと思いますか?
○ 相手の親御さんに謝って貰いたい(又は謝らなければならない)と思いますか?
謝って貰う必要はない(又は謝る必要はない)と思いますか?
○ またそれは、それぞれどうしてですか?
「どちらが正しいか」ではなくて、「自分はどう感じるか」、皆さんの感じ方を教えてください。
ちなみにこの場合の「怪我」は、たんこぶ、噛み跡、すり傷など、自宅で軽く手当てできる程度のものとします。
(通院しなければならない程の怪我であれば、もちろん、子供同士で責任をとれる話ではないですし、
私も当然、親が出て相手に謝罪すべきだと思っています。)
世間一般では皆さん、どんな風に感じてるのかなーと幅広い意見を聞きたいと思ったのでこのカテにトピしますが、
きっと私は少数派に違いない…(^^; と、恐る恐る書いてもいますので、あまり熱くなりすぎないようお願いします〜;;
御意見ありがとうございます(その2)
また、maritaroさんが書いて下さった欧州のお話もとても参考になりました。有難うございます!
大人が誰も手を出さない取っ組み合いの喧嘩、なんだかとてもステキですね。
泣かされている子の親にしても、きっと子供が逃げ帰ってくれば、受け止めて、
パワー充填(?)してあげる準備はあったのでしょうけど、泣きながらも
まだ立ち向かう我が子を見て、「頼もしい」と感じていたのかなー、なんて想像してしまいました。
よくいわれる話ですが、子供はこうやって成長の過程でぶつかり合うことを経験しないと、
大人になっても加減が分からなかったり、他人との接触に過度にストレスを感じてしまったり、
また、揉め事が起きた時の解決法が分からなかったりする・・・と。
「子供のケンカに親が出るのは恥ずかしいこと」というのはきっと、
そんな子供の成長を見守るための昔からの生活の知恵でもあったのかなー、という気がします。
それはきっと、親が子に「無関心でいる」ということとはまた違って、
「最大の関心をもって突き放す」という言葉がありますが、まさにそんな感じでしょうか。
今の日本のように、子供が外遊びをする時には保護者が付き添ってその逐一の行動を見ている
というのも一つのあり方かもしれないし、かつての日本のように、子供の社会は子供に任せて、
親は子供の話などから要所要所のみ把握している、というのも一つの見守り方かもしれない。
また、その中間で、保育園や幼稚園など、大人の保育者が管理する一定のコミュニティの中に
子供を置いて、親は他の保護者や先生とのコミュニケーションの中から
我が子の姿を見出していく、という方法でも良いのかもしれない。
この中で、いずれの場合にも共通してあるべき姿は、親は、例え目の前に子供がいない場合にも、
「もしもこんな状況になれば、うちの子はきっとこんな風に立ち回るだろう」程度には
我が子のことを理解している、ということなのかな?・・・そして、よく分かっているけれども、
そんなことはおクビにも出さずに、子供の行動には手も口も出さない。
子供が毎回親の承認を求めて振り返らなくても良いように、どーんと子供に任せてみる、
でも時々、子供自身も気づかない位にさり気なく、そっと軌道修正をしてやれる、
そんな親の姿であれたら良いなー、なんていう風に感じました。
そして絶対にやってはいけないのがこの反対で、
子供自身に大きな注意を払わないまま、勝手に子供の代わりに行動してしまうことでしょうか。
これは今後、自分によーく戒めておかなければ・・・と自分自身でも思ったのですが、
「我が子が傷つけられた」と知って、子供の様子もよく見ないまま自分一人で悲嘆にくれたり、
「我が子が人様を傷つけた」と聞いて、よく事情を知りもしないうちから、
相手の親御さんの気持ちや自分の体裁ばかりに気を取られて、
一方的に謝罪だけをしてしまうと、子供の気持ちを傷つけてしまいそうですね。
そして、だからこそのコミュニケーション。
パコさんが「子供とはオープンに話し合える関係を」と仰っていたのもそうだなーと感じるし、
honey☆honeyさんが「相手の親との会話を」と仰っていたのもそうなんですね。
普通の小学生、普通の中学生が、普通の生活の場で犯罪を犯してしまうような昨今。
maritaroさんが仰るように、これからの子供は、本当に親の私たちの世代からは想像もつかないような、
息苦しく重苦しい時代を生きていくことになるのだろうなーと思います。
我が子には是非、そんな時代でも笑って生きていけるような自信とたくましさを、
今のうちに育んで貰いたいな・・・と願ってやみません。
今回、皆様にはたくさんのご意見をいただいて、私自身、色々と考えるきっかけになりました。
御意見をいただいたお一人お一人にコメントできず、とても心苦しいのですが、
今もお一人お一人の書き込みが心に残っています。どうも有難うございました。
御意見ありがとうございます(その1)
こんにちは。
週末、何かとバタバタ過ごしていたためコメントが遅くなってしまいました。
でも皆さんからの書き込みは逐一読ませていただいていました。
今回はさらにお一人お一人の意見の幅や温度差がはっきりしたような気がして、
「うーん、なるほど」と納得したり、「へー!」と感心したり、またまた楽しませていただきました。
以下、かいつまでの感想になりますが・・・
honey☆honeyさんが書いて下さった
「謝ってほしいというよりコミュニケーションを取りたい」という御意見、とても頷かされました。
前回、私なりに想像して書いてみた「親からの謝罪が欲しい理由」は、
結局「子供のため」じゃなくって「親のため」なんだなー、という内容でしたが、
そうか、この場合の謝罪(=コミュニケーション)は純粋に子供のためのアクションなんですよね。
やった側にしてもやられた側にしても、親同士がコミュニケーションを取り合うことで、
その子の成長を見守ってくれる“子育て同盟者”ともいえる人が増えるといいますか。。
それは勿論、やった側の子供にとってもそうなんだけども、
やられた側の子供にだって何らかの原因があることも多々ある訳で、
やられた側の子供だって、これからの成長を見守ってもらえる大人を必要としている・・・
そういう意味では、私が親記事に書いたように「そんな面倒な電話いらない〜」なんて思ってると、
これはやっぱりちょっぴり損だなー、と思わされました。
もう一つ。私が「加害側の子の名前を知る必要はない」と思っている理由について、
親記事には「自分にバイアスがかかるのが嫌」という風に書いたんですが、私の場合、
これは特に同じことが重なれば重なるほど、そんな気持ちが強くなるんじゃないかなって気がしています。
1回程度のことなら多分そもそも気にもならない。
maritaroさんが書いて下さったように、「お互い様〜」とも思うし、
「ああ、保育園でもまれて来たのね〜。いっぱい学習して強くなれよ〜(^^」という感じ。
これがもしも何度も続くようだと・・・確かに私も相手が全く気にならないこともないのですが、
「でもやっぱり知りたくない。・・・知っちゃいけない気がする」と思ってしまいそうなんですね。
もちろん私も知ったからといって何をするという訳でもないんですが、
子供にとって、よその親なんて得体の知れない巨人みたいなものだろうに、
その私が知ること自体が相手の子を傷つけてしまうんじゃないか、という怖さがあるんです。
何度も続くということは、その子はきっと手が出てしまいやすいタイプの子供なんだろうけれども、
きっとその子には、それ以上に私の知らない良い所がたーくさんある筈なのに、
その「たーくさん」を見ることも出来ないうちから、否応なしに
「乱暴な子」という曲がった情報のみが自分の中に入って来てしまうことがすごく嫌で、
“巨人”たちにレッテルを貼られてしまった子供の心は大丈夫か?
ちゃんと自分の存在価値を認められる大人になれるか? なんて変な心配をしてしまうんですね。
その点、前回「単純に親として把握しておきたい」と書いて下さったパコさんや、
「たった一度の出来事でも、この先や、これまでの事とも照らし合わせたい」と書いて下さった
honey☆honeyさんの意見は、とても理性的というか、
きっと、相手の子の良い所も悪い所も同時に見定められる自信があるからこそ書ける言葉だな〜
なんて感心していたのですが、今回、honey☆honeyさんのコミュニケーション説を読んで、
ああ、もしかして私は「良い所も悪い所も知らなくて良い」と
単に情報をシャットアウトしようとしてただけなのかな〜、なんて考えさせられもしました。
・・・でも、まぁ、実際にはそれも色々と難しいのですが。
本当に相手の子のことを知るチャンスがどの程度あるかは置かれた環境次第でも違ってくるし、
(例えば一般的な幼稚園と保育園の違い一つをとっても、時間的制約やら行事のあり方やら…)
相手との距離感によっては踏み込んで良い領域も変わってくるし、相手方の価値観も色々・・・。
Germanyさんが書いて下さったように、そんな「色々」もひっくるめて、
園側が「知らない方がお互いに楽な事」という判断をする場合があるのも少し分かる気がします。
軽いけがなら小学生まで
○ 公園で他のお子さんとトラブル
別に家族から謝罪があれば、親から謝罪が無くても監督している人から謝罪あれば私はOKです。
○ 相手の親からのフォロー又は相手の親へのフォローが必要だと思うのは子供が何歳くらいまででしょうか。
「自宅で軽く手当てできる程度のケガをした場合」ならば、私はせいぜい見ても小学生位でしょう。
子供が一人で謝罪がきちんと出来るようになれば親は不要かと思います。
小5の時、ソフトボールで顔面にデットボールなったのに、クラスメートからも謝罪もなかったです。
また小6の時、後ろの子に足を引っかけられ、唇を切り数針縫う程度なのに、当事者同士での謝罪もなければ、親、教師等から家庭へ対してからも謝罪がなかったので、そういう意味で小学生と言っています。
いくら競技とは言え、道徳上謝罪位ありたいものです。
祖父母の謝罪は
全然「あり」です。
私も結構淡白な方なのかな〜?
まあ、軽度な事限定での話だから、だけど。
余談だけど、私のママ友の話。
ママ友とその娘(長女でうちの娘と3ヶ月違い)は
娘同士がハイハイの頃からの知り合いです。
お互い第二子出産の為数ヶ月ブランク後、また遊び始めたけど
それがまあ、凄いやんちゃ(乱暴)娘に成長していて
あちこちで問題おこし、そのママ友はあちこちで頭下げまくってます。
その矛先は、仲良く遊んでいるうちの娘にも、、、
紫の歯型(内出血で)つけられて、血も出ていて
そのママ友は、泣きながら謝っているのに、その娘は逃走。
その娘はカッとなると、ハイハイからの友達だろうが
何だろうが見境なく攻撃します。しかも加減なく。
そのママ友は普通の人です。
特別しつけのできない人ではないと思います。
その娘の生まれ持った性質もあると思います。
そして、ママ友は一生懸命、娘による被害者たちに謝罪しています。
うちの娘と3ヶ月違いだけど、学年は一つ下で来年から幼稚園に入るそうです。
もし、幼稚園が軽度な事も全て報告していたら
彼女のような母親は何回頭を下げればいいのだろう。
確かに、自分の子供が人様の子を、例え軽度でも怪我させたら申し訳ないし
自分の子供が、例え軽度でも痛い思いをして、面白いわけがない。
でも、知らない方がお互いに楽な事、で許されてもいい事、かな、と。
あ、話が戻ってしまった...
私はトピ主さんとかなり近いです。
見つけたのが遅いので、参加するのが遅くなってごめんなさい。
海外での話があったので、書かせて下さいね。
じつは、海外で子育てをした経験はないけれど、独身の時に欧州に少々住んだ経験があります。実際に子育てしてないので、記憶に少々不適切な点があるかもしれませんが…驚いたのは、幼稚園くらいの子が取っ組み合いをしていても、泣かされているほうの親をはじめ、周囲の大人は誰も手を出さないのです!
私は見かねて手を出そうかと思ったのですが、泣いている子の親さえ何も言わないのなら…と思って傍観しました。
取っ組み合いでさえそれですから、保育園で噛まれるなんて日常茶飯事。一々謝罪なんてないみたいですよ。
でも
年齢ばれますが私は団塊ジュニア世代です。私が子供だったころは、治安も今より良かったし、どこの家にも子供がいるのが当たり前みたいなところがありましたので、結構小さいうちから子供だけで外で遊んでいました。当然、親はいつも子供の遊びを見ているわけではありません。取っ組み合いもあったし、噛みつきもありました。でも私の母などは「子供のケンカに親が出るのは恥ずかしいことなのよ」と始終言ってました。基本的には自分で解決してきなさい、でした。
私が住んだ欧州某国は、昔の日本と同じなのかもしれません。
昔が悪いとか、今が悪いとか言うのが本意ではありません。
ただ、今は治安が悪くて子供の数も少なくなりましたから、以前より、よく言えば手厚い、悪く言えば過保護なのも事実だと思うんですよね。
私たち団塊ジュニア世代でさえ、豊かな時代の過保護な子と見なされて育ってきたのに、今の子は…一体どうなるんでしょうね。可愛がられおもちゃもたくさん買ってもらえて、正直とてもわが子が羨ましくなる時もありますが、私たちには想像もできなかった苦しみもあるのではないかと思っています。
そんな経験があるので、私自身は、長男が軽い傷を作ってきても、相手を知りたいとは思いません。うちの子は男の子の割におとなしい方で、あんまりやることもやられることもない(先生談)ですけど、一度お友達のお母さんに謝られたことはあります。その時はつい「お互い様ですので」と言っちゃいましたし、本当にそう思っています。
もちろん、病院に行くような怪我は別ですよ!!
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