実母が病気だけど
本当に愚痴です。
今、実母が癌になり闘病生活を送っています。病気がわかったときには、すでに手遅れの状態でした。状態が悪くなると薬や延命的な手術で持ち直し、入退院を繰り返しながら、できるだけ自宅で過ごし、これまで約1年間、なんとかこれまでやってきました(私は、実家の近所に住んでいて、同居していません)。
また、先週も調子が悪くなり、入院しました。転移に伴う症状の悪化で、簡易な処置により状態回復を図ったのですが、それがうまくいかず、今回は入院が長引きました。
突然、今朝ほど電話がかかってきて、「家に帰ったから。もう、来なくていいから・・・。そういうこと。」と言って切れました。
状態がいいときは、いつもの母で、気遣いの人で普通に楽しく会話ができます。私の方は、孫と遊ぶのが唯一の楽しみにしているので、休日は実家に毎週、娘をつれて帰っていました。ご飯をよばれたり、こちらが用意したりして、楽しい時間をもつようにしてきました。
が、今回、状態が悪くなって、電話の発言・・・。状態が悪くなると、会ってもくれなくなったり、もっとこうしてほしかったとか言ってきます。
今回、私は、状態がよくないのを知っていながら、以前から予定していた家族旅行に行き、無事帰ってきたことを火曜日にお見舞いに行き報告したのを最後に、先週は一度もお見舞いに行きませんでした。私はフルタイムで仕事をしていますので、そうそう休むことはできません。そして、タイミングの悪いことに、仕事も押せ押せで、かつ、普段はないのに夜に会合が入ったりして・・・。
しんどそうにしているのを知っていて、お見舞いに行かなかった自分に後悔をしながら、また、でも、私も妊婦で仕事もしんどかったしと言い訳を思う自分に、なんだか嫌になってきました。
先の長くない母、今、親孝行せずしていつするのかとわかっているのですが・・・。母の気持ちの上がり下がりに、こちらも気持ちが沈んだりほっとしたりで、なんか疲れてきました。一緒にも住んでないのに、割り切れないなにかをいつも感じながらいます。
以前も、こういうことがあり、大変気まずい思いをしましたが、とりあえず、今日、ご飯とお花の差し入れだけはしておこうと思います。明日は、会ってくれればいいのですが・・・。
ありがとうございました。
バタバタしており、お返事が遅くなりました。
早速に実経験に基づくアドバイスをくださいましたモノさん、a-ya-taroさん、本当にありがとうございました。おかげさまで、母に会うのが嫌になっていた私ですが、なんとかまた、母に向き合う勇気が出ました。
その後、再び入院した母ですが、何度かお見舞いをして、食べたがっているものを差し入れたり、子供を見せに行ったりして、たまたま私がお見舞いに行ったときは、体調も良かったようで、まぁまぁ楽しい時間を過ごすことができました。やはり、仕事をしながら母のための差し入れを別に作り、仕事の休みを調整したりするのは大変でしたが、やってよかったと思います。処置は失敗してしまったようですが、とりあえず、今はまた一時帰宅しています。
>毎日続くこと。そして、本当は続いてほしいこと。
>でも、時には、あまりに辛くて終りが来てほしいな>んて思ってしまうこともありました。
まさにその通りの思いに揺さぶられる毎日です。誰もが通る試練なのかもしれません。
徐々にお別れができるのが、この病気の唯一のいいところと思って、自分の体調にも気をつけながら、過ごしていこうと思います。
家族だからこそ・・・
私の場合は、母ではなく祖母だったのですが。。。
お母様の闘病では、もっともっとお辛いでしょう。。。
私の場合。。。
家族だからこそ、お互いにきつく当たったり、喧嘩をしたり、わがままを言ったりしました。
不謹慎な発言だったらごめんなさい。
家の祖母はいつも調子のいい時には
『生きてる者が一番大事。』
って言っていました。
きっとそれが祖母の優しさで、病気の自分より、私たち家族のことを思って言ってくれたんだと思います。
私も母も仕事が忙しく、またお出かけなどもしていました。
なかなか動けない身体の祖母を、留守番ばかりさせていました。
毎日続くこと。そして、本当は続いてほしいこと。
でも、時には、あまりに辛くて終りが来てほしいなんて思ってしまうこともありました。
その度に自分を責めたり、逆にお互いに当たってしまったり。。。
それでいいんだと思います。
それだからこそ家族なんだと思います。
家族の絆は、どんなことがあっても切れたりしません。
まずは…心も身体も、ご自身が倒れてしまっては孝行も思う通りにできなくなってしまうと思います。
無理なさらず…。
お母様のお気持ちが晴れるといいですね。。。
似たような・・・
初めまして、モノといいます。
なんだか似たような事があったのでついコメントします。
私の実母も7年前、末期癌で入院しました。
その時私は妊婦で、一人目の子がお腹にいました。
はちこまさんのように仕事はしていませんでしたが
当時私は18歳。癌ってそんなに重くも考えておらず
しかも自分は妊婦で自分の事で精一杯。
それでも、毎日病院にお見舞いに行きました。
母が大好きで、どこに行くにも母にべったりだった私は、死が目前にあるとは思いもせずただ母に会いたくて病院に通いました。お弁当を作って持っていったり
できる状態は悪くなった時は泊まったり・・・
できる限りの事はしたと思うのですが、今も悔やんでも悔やみきれない事を私はしました。
それは、病の母があそこが痛いここが痛いと言われると私は『もー・・・わかってるよ』『そんなにしつこく言わなくても』と心に思いながらきっと嫌な顔をしていたと思います。でも手術が終わり痛がってる母に手を差し伸べてぎゅっと強く握りしめたりも普通にしました。でも、いわゆる母の気分の浮き沈みや体調不良の変化に私はついていけませんでした。子供だったのかなとも思いましたが、きっと生きている・・・どんな病におかされても目の前で話ができる。その当たり前の事だったから、気にもできなかったのかなと今思います。
入院して、3ヶ月という早さでこの世を去ってしまった母。今、闘病中の母の思い出は、母に辛くあたられた事は思いだせません。
母が辛そうにしてるところ、私の体を気遣うところ・・・そんな場面です。
逆に私が母にできたこと、毎日病院に行った事なんて二の次で、『あの時、どうしてあんな顔したんだろう』と思ってしまいます。
はちこまさんの
>今、親孝行せずしていつするのかとわかっているのですが・・・。母の気持ちの上がり下がりに、こちらも気持ちが沈んだりほっとしたりで、なんか疲れてきました。
というところ。それだけでえらいと思います。
私なんて今親孝行しないで・・・なんて思いもしなかったんですから・・・
なんとお言葉をかけたらいいかうまくまとめられませんでしたが、同じように思ってしまう事はあると思いますよ。
長くなってしまってすみません。
お体、大事にしてお母様と大事な時間を過ごしてくださいね。
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