流産でした。。(長文です)
- 2012-04-22 15:24
- 一般公開
- テーマ:妊娠確定まで
昨日、6w0dで流産しました。
妊娠検査薬で陽性が出てから、1週間と少しでベビィはお空に帰ってしまいました。
4/12 妊娠検査薬で陽性。
4/14 初診。テストパックでも薄い陽性。胎嚢確認出来ず。
次回は2週間後の予定。
4/16 5w2d。出血のため、病院へ。胎嚢確認出来ず。
医師より「赤ちゃんが育ってないかもしれない。最悪の場合子宮外妊娠もありうる。正常妊娠の確率は低い」との診断。
切迫流産と診断され、入院。ウテメリン点滴開始。
夕方、出血が収まりウテメリン輸液量を減らす。
4/18 5w4d。診察。胎嚢確認出来ず。テストパックでもやはり薄い陽性。
医師より「処置して帰るか、もう少し頑張るか」の2択。
もちろん頑張る方を選択。
4/20 5w6d。診察。胎嚢確認出来ず。
週明けの月曜(4/23)にもう一度診察をすることに。
お昼過ぎから出血。ウテメリンの輸液量を増やして様子を見る。
4/21 6w0d。朝起きると出血が多くなっていたため、診察。
やはり胎嚢確認出来ず。
医師より「胎児が育ってない可能性が高い。今回は残念だけど厳しいでしょう」とのこと。
流産処置をすることに。
私が入院してから、ずっと泊まり込んでくれていた主人。
幸い会社が近いので、病院から出勤してくれていました。なので、今日はお家でゆっくり休んでね、と言っていたため、主人は自宅。
大分疲れていたようで、なかなか電話に出ない。
どうやら、眠れなくてビールを飲んでしまい、朝起きられなかったよう(笑)
なので、起きれる状態になるまで休んでもらい、1人で手術に臨みました。
診察してから病室へ戻り、同意書にサイン。
手術名にしっかり「流産手術」とありました。
手術自体は10分くらいのものらしく、静脈注射で寝ている間に終わっていました。
しばらく休んだ後、退院。
帰りに主人の実家へ行き、義母の仏前で報告しました。
義父も「頑張ったね」と優しい言葉をかけてくれました。
今回の妊娠は「科学的妊娠」といって、厳密には妊娠のうちにも入らないそう。
だけれどお医者さんは
「健康な人でも10回妊娠したら、1回は流産するって言われていて珍しいことではないんだよ。あなたの場合は、最初の妊娠が残念なことにこの1回に当たってしまったけど、今度はきっと大丈夫だから。」
と優しい言葉をかけてくれました。
だけど思い出すのは、最後の診察の待合室で、私より若いであろう夫婦が腹部エコーを見て喜んでいる声。
幼稚園くらいの女の子が「ママの赤ちゃんは男の子?女の子?」とはしゃいでる声。
麻酔から目を覚ました時に最初に聞こえたのも赤ちゃんの泣き声でした。
この段階での流産は自然淘汰だと分かっています。
医学でもどうしようもないことだとも。
でも、どうしてこのタイミングなんだろう?と思ってしまう。
義母を亡くしたばかりでようやく日常を取り戻し始めていたのに。
またスタートラインに戻ってしまった。
今私に残っているのは強い腹痛と何も写ってないエコーの写真が3枚。
このエコー写真をどうしたらいいのか分かりません。
近所の赤ちゃんの泣き声や、妊婦さんや赤ちゃんが出てくるCMでさえ、今は見るのが辛いです。
みなさんのベビちゃんが、無事にこの世に産まれてきてくれますように。
妊娠検査薬で陽性が出てから、1週間と少しでベビィはお空に帰ってしまいました。
4/12 妊娠検査薬で陽性。
4/14 初診。テストパックでも薄い陽性。胎嚢確認出来ず。
次回は2週間後の予定。
4/16 5w2d。出血のため、病院へ。胎嚢確認出来ず。
医師より「赤ちゃんが育ってないかもしれない。最悪の場合子宮外妊娠もありうる。正常妊娠の確率は低い」との診断。
切迫流産と診断され、入院。ウテメリン点滴開始。
夕方、出血が収まりウテメリン輸液量を減らす。
4/18 5w4d。診察。胎嚢確認出来ず。テストパックでもやはり薄い陽性。
医師より「処置して帰るか、もう少し頑張るか」の2択。
もちろん頑張る方を選択。
4/20 5w6d。診察。胎嚢確認出来ず。
週明けの月曜(4/23)にもう一度診察をすることに。
お昼過ぎから出血。ウテメリンの輸液量を増やして様子を見る。
4/21 6w0d。朝起きると出血が多くなっていたため、診察。
やはり胎嚢確認出来ず。
医師より「胎児が育ってない可能性が高い。今回は残念だけど厳しいでしょう」とのこと。
流産処置をすることに。
私が入院してから、ずっと泊まり込んでくれていた主人。
幸い会社が近いので、病院から出勤してくれていました。なので、今日はお家でゆっくり休んでね、と言っていたため、主人は自宅。
大分疲れていたようで、なかなか電話に出ない。
どうやら、眠れなくてビールを飲んでしまい、朝起きられなかったよう(笑)
なので、起きれる状態になるまで休んでもらい、1人で手術に臨みました。
診察してから病室へ戻り、同意書にサイン。
手術名にしっかり「流産手術」とありました。
手術自体は10分くらいのものらしく、静脈注射で寝ている間に終わっていました。
しばらく休んだ後、退院。
帰りに主人の実家へ行き、義母の仏前で報告しました。
義父も「頑張ったね」と優しい言葉をかけてくれました。
今回の妊娠は「科学的妊娠」といって、厳密には妊娠のうちにも入らないそう。
だけれどお医者さんは
「健康な人でも10回妊娠したら、1回は流産するって言われていて珍しいことではないんだよ。あなたの場合は、最初の妊娠が残念なことにこの1回に当たってしまったけど、今度はきっと大丈夫だから。」
と優しい言葉をかけてくれました。
だけど思い出すのは、最後の診察の待合室で、私より若いであろう夫婦が腹部エコーを見て喜んでいる声。
幼稚園くらいの女の子が「ママの赤ちゃんは男の子?女の子?」とはしゃいでる声。
麻酔から目を覚ました時に最初に聞こえたのも赤ちゃんの泣き声でした。
この段階での流産は自然淘汰だと分かっています。
医学でもどうしようもないことだとも。
でも、どうしてこのタイミングなんだろう?と思ってしまう。
義母を亡くしたばかりでようやく日常を取り戻し始めていたのに。
またスタートラインに戻ってしまった。
今私に残っているのは強い腹痛と何も写ってないエコーの写真が3枚。
このエコー写真をどうしたらいいのか分かりません。
近所の赤ちゃんの泣き声や、妊婦さんや赤ちゃんが出てくるCMでさえ、今は見るのが辛いです。
みなさんのベビちゃんが、無事にこの世に産まれてきてくれますように。
- コメント20
-
いいね9
-
クリップ
コメント
みんなのコメントをもっと見る
