【ベビカム シニア・アドバイザー】産婦人科医師/ 元愛育病院院長・元東京大学医学部講師

帝王切開の由来とこれまでの変遷

  • 2015-06-29 15:15
  • 一般公開
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我が国の帝王切開率は5~20%。さてその帝王切開、いつから始まったのでしょう?

なぜ帝王切開というのでしょうか?

一番有名でもっともらしい話は、ローマの皇帝、ジュリアス・シーザーが帝王切開で生まれたからというもの。帝王切開は、ラテン語では「sectio caesarea」、英語では「caesarean section」と言います。そしてジュリアス・シーザーは「Gaius Julius Caesar」です。

しかし、シーザーが生まれたとされる紀元前100年頃は、母親と子どもを両方とも助けることのできる帝王切開手術が行われた可能性はほとんどありません。古代ローマの王法(lex regia)では、妊婦が死亡したときは子宮から子どもを取り出してから埋葬することが義務づけられていたそうです。しかし、シーザーの母親は長生きで54歳まで生きていたと言われ、またガリア戦争の遠征の途中でシーザーは母親に手紙を送っていることからも、母親の死後、子宮切開によってシーザーが生まれたということはあり得ないようです。

一方、「caesarea」はラテン語の「caedere」(切る)の過去分詞「caesus」から作られた「caesar」(切開で生まれた者)に由来するという説があります。また「partus caesareus」(切開分娩―ドイツ語のSchnittentbindungに相当)が元ではないかという、あまり面白くない話もあります。

ローマ時代の皇帝法(lex caesarea)では、妊婦が死亡したとき、子どもを子宮から取り出す前に埋葬することを禁じて、これが「sectio caesarea」の語源となった説が、帝王切開の由来として一番有力だと言われています。

日本で帝王切開の手術が紹介されたのは、1805年発行の「和蘭医話」。このときは「ケイズルレーキスネー」とオランダ語の「keizerlijke snee」をカタカナで表記していました。その後「剖産術」(1870)、「シーザル割裁法」(1878)、「国帝切開術」(1886)、「帝王切開」(1885)などの言葉が使用され、1900年(明治33年)以降、「帝王切開術」が多く使われるようになっています。

最初の帝王切開はいつごろ?

ギリシャ神話でアポロが恋人コロニスの不貞を知って、恋人を殺し、その死体から息子のアスクレピオスを取り出したとされています。あるいは、古代インドでは分娩中に死亡した母体で胎児の動きを認めると、帝王切開をしたといわれます。妊産婦が死亡すると帝王切開が行われていたようです。

1500年にスイスの「豚の卵巣摘出業者」が、自分の妻の出産が難航したとき、八方手を尽くしたが生まれず、許可を得て帝王切開を行い成功しました。その後、双児をはじめとする4人の子どもを得たと記録されているのが最初の確かな記録です。

1540年にはイタリアで行われた記録も。子どもは死亡したが、母親はその後、4人の子どもを自然分娩で生んだといわれます。

1571~1572年にかけて、フランスを旅行した人が、ツールズで2人の女性の帝王切開を見たと記録しています。

1610年には、ドイツの外科医の行った詳細な手術の記録が残されています。その母親は25日間生存した後、死亡しています。

日本では、1852年に秩父郡我野正丸(現在の埼玉県飯能市坂元)で行われたのが詳しい記録の残る最初の例。あしかけ3日経っても生まれない難産で、胎児は子宮内で心臓が止まってしまったのに分娩にならないために、家族本人と相談のうえで、手術分娩に踏み切ったのです。手術後母親は、感染による発熱や腸閉塞で悪戦苦闘の末、手術後およそ2カ月で全治、その後、89歳の天寿をまっとうしました(これを顕彰して、1987年に「帝王切開発祥の地」の記念碑が飯能市大字坂元に建てられました)。

日本人による記録の残っている第2例は、1882年に千葉県佐原で行われましたが、母親は2日後に亡くなりました。

帝王切開の安全性はどうだったのか?

1958年、私が産婦人科としてスタートしたとき、使っていた教科書には破水して時間が経ったり、感染徴候がある場合には、帝王切開の適応にはならないと書かれていました。19世紀前半の、妊婦死亡率はまだ75%で、出血と感染が死亡率の高い原因でした。

悪戦苦闘の末、1876年にイタリアの医師ポローが子宮を切開して胎児を取り出した後、子宮の上3分の2を摘出して、出血と感染を減少させることに成功し、死亡率を66%から約25%にまで下げることができました。

さらに、1882年、子どもを取り出した後、子宮の筋層の傷を丁寧に縫い合わせる方法が考案されて、死亡率は19世紀の終わりには6%にまで下げることができたのです。

現在の帝王切開分娩における死亡率は0.029%と、19世紀以前とは比較にならないほど低くなっています。しかしそれでも経膣分娩の死亡率の4倍(その死亡率は0.007%)です。

参照:石原力「帝王切開の歴史 産婦人科の世界」1999

   小川鼎三「医学用語の起り」(東京書籍)1990

   「帝王切開発祥の地」(記念会会誌)1989

(2001.08)
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