そのほかの出産「難産」の体験談 出産

難産だったママたちの出産体験談をまとめて紹介します。「24時間以上続いた陣痛…」「お産が進まず、緊急帝王切開に!」など、壮絶な難産エピソードとともに語られる赤ちゃん誕生の喜び・感動。お産に不安を感じるママにこそ読んでほしいエピソードです。

体験談はベビカムで募集したママたちの投稿を掲載しています。あくまでも一個人の経験としてお読みください。症状や対処の判断は、医師にご相談ください。

  • 陣痛が来て入院したけれど痛みが落ち着いてしまい、34時間の難産に…

    朝おしるしがあり、散歩したり階段を上り下りしたりしていると、15時頃から痛みが…。動けないほどではないし、陣痛間隔を計ってみてもまばらだったので「前駆陣痛かなぁ…」と思いながら過ごしました。
    23時頃から痛みがひどくなり、産院から「陣痛間隔が5分になったら連絡してください」と言われていたため電話しました。しかし「まだ大丈夫そうね(電話の声で判断しているそうです)」と言われ、そのあとも主人にテニスボールで腰をさすってもらいながら過ごしました。
    その後も電話しましたが、自宅待機を続けるようにとのこと。3度目の電話でようやく「もう3回も連絡いただいてるので、来てください」と言われ、もしかしたら帰される可能性もある中、夜中3時頃病院へ。
    病院について内診してもらった結果、子宮口が3cm開いているということで、そのまま入院しました。帰されなくて良かったです! 看護師さんに「テニスボール忘れました…」と話したら、「今からやってたら、本番それどころじゃないよ」と言われ、テニスボールを使うのがまだ早かったことを知りました。
    その後はひたすら腹式呼吸をして過ごしていましたが、次の日の朝には陣痛が落ち着いてしまいました…。その日は丸一日、陣痛が来たり収まったりして過ごし、次の日の午前中に陣痛促進剤を打ってもらいました。そこから一気に子宮が開いて、13時に出産しました。 病院へ行ってから34時間後、分娩台に乗ってからは約30分で生まれました。

    妊娠39週/初めての出産 難産(神奈川県/たけはる/32歳)
  • 帝王切開ですぐに出てくるはずの赤ちゃんが出てこない…!?

    第1子が逆子で帝王切開だったのもあり、第2子も予定帝王切開でした。第2子の出産時の事です。「手術終了までは約1時間で、赤ちゃんもすぐに出ますよ」と言われていたこともあり、術中は手術室の時計をずっと見ていた私。麻酔科の看護師さんがずっと横に付いて、話しかけてくれました。
    しかし、言われた終了時間に近づいても、肝心の赤ちゃんが出てくる気配がありません…。いつのまにか、執刀医が2名から3名に増えて、産婦人科部長の先生も加わっていました。専門用語が飛び交う中でも、看護師さんはずっと話しかけてきます…。私は看護師さんの話なんか上の空で、先生の話が気になって仕方ない。そんな状況の中で執刀医の先生が「横方向への切開だけでは赤ちゃんが出せないから、縦にも切るよ!」と…。私はもうなんでもいいから赤ちゃんを出して!という気持ちで「お願いします」と答えました。結局、手術開始から1時間半で生まれました。
    その後、意識が遠のいてくのを感じ、気づいたら手術室を出るところでした。私の血圧が50くらいまで下がってしまい、昇圧剤を使うなどの処置をして、手術終了まで4時間かかったそう…。術後も自覚症状はなかったのですが、ヘモグロビン数値が5.9まで下がり、ひどい貧血に。看護師さんには「あなたが今こんなに元気なのが不思議!」と言われる有様でした。なかなかの難産だったみたいです。

    妊娠38週/2人目の出産 難産(福島県/RKママ/39歳)
  • まさか私が緊急帝王切開…!?経過は順調だったのに思いがけず難産に

    つわりはあったものの、妊婦生活はいたって順調! 痛みに強い私は、出産も簡単!…と思っていたのですが…思いもよらない大変な難産となりました。
    出産予定日に陣痛が始まり、夜11時ごろに夫と病院へ行きました。陣痛は5分間隔でくるものの、なかなか子宮口が開かず、そのまま朝になりました。次の日も一日中陣痛に苦しみ、ご飯を食べても陣痛で吐いてしまう、水を飲んでも陣痛で吐いてしまうという状態に。それでも子宮口は6cmしか開かず、まだ生まれる様子はありません。
    陣痛に苦しみながらまた朝になり、飲まず、食べず、寝れず…。それでも陣痛は絶え間なくやってきて、体力も限界に。先生が膣から手を入れ、人工破膜でパンっと破水させてくれましたが、それでも子宮口は8cmまでしか開かず、まだ赤ちゃんは出てきません。
    その夜、おなかの赤ちゃんの心拍が3回下がり、危険な状態に…!「私はどうなってもいいから赤ちゃんを助けて!」心の中でそう願っていました。
    看護婦さんがバタバタと走り回り、まさかの緊急帝王切開の手術が決定! 陣痛に苦しみながらも、手術のサインを震えながら書きました。局部麻酔が効かず、全身麻酔でしたが、無事元気な赤ちゃんが生まれました。

    妊娠40週/初めての出産 難産(三重県/らむちゃん/34歳)
  • 切迫早産からの超過産。帝王切開の予定もなんとか経膣分娩で産めました!

    不妊治療をしてようやく妊娠。妊娠4ヶ月目で地下鉄でマタニティーマークをつけて立っていたら、鞄をぶつけられて、その帰り道に出血し救急車で搬送されました…。切迫流産とのこと。どうにか切り抜けましたが、その後も切迫早産に。
    「出産予定日の1ヶ月前に生まれるかも」と言われていたのですが、結局予定日を3週間過ぎても陣痛が来ない。海綿で子宮口を広げ、点滴と注射で誘発分娩することに。しかし、子どもの心拍が落ちて危険だと、帝王切開の準備をすることに。その後、子宮口が少し開き、赤ちゃんの心拍も少し戻ったので、分娩台に乗ってみようとなる。しかし、まったく出てこなくて、今度は吸引分娩に…。
    その後、子どもの心拍が危険になり、私の意識も飛んでしまった。「あと一回いきんで出なかったら、帝王切開になる」と言われて、思いっきりいきんだら…生まれた!
    お尻の方まで裂けてしまったので縫い合わせることになったが、麻酔がきかず、叫びながら縫う羽目に…。1ヶ月の間、傷跡がものすごく痛くて、座れませんでした。
    子どもは黄疸が強くて一時要注意っぽかったけれど、何とか今は大丈夫です。産前は切迫早産で母乳マッサージができなかったので、産後母乳がまったく出なくて、子どもの体重は離乳食までほとんど増えず、焦りました。「難産だったね」とよく言われます(^^;

    妊娠41週以上/初めての出産 難産(山形県/ミニオンママ/31歳)
  • 仮死状態で生まれた我が子!助産師さんも「稀に見る難産」とコメント

    朝、破水して入院することになった。その後は何もなく、夕方陣痛が始まったが、生理痛と変わらない痛みで余裕だった。だんだんと痛みが強くなってきて「順調に行けば朝までには生まれそうだね」と言われた。しかし、夜中2時頃から5分感覚の陣痛と戦ったのに、子宮口は朝7時になっても3cmしか開いておらず…。
    その後、陣痛の合間にトイレ行ったが、便座に座った瞬間に陣痛の波が襲ってきた。どうしたら良いかわからず、そのまま前屈みに倒れてしまった。ドアも開けられず、人生で初めてトイレの中で「助けてー!」と叫んでしまった。
    それから陣痛の合間は寝てるというか、気を失ってるような感じ。痛みの波が来たときは腰をかなづちでガンガン打たれてる感覚&胃腸炎で下痢を我慢している感覚だった。助産師学校と併設してる病院だったので、研修に生徒が来ていて、ひたすらお尻を押さえてもらい、腰をさすってもらった。
    やっと先生が来た時も子宮口の開きは悪かった。内診で子宮口を刺激されたが、あまりの痛みに暴れ、助産師さんたちに押さえ付けられて絶叫した。後から聞いたら待合室まで響いていたと(苦笑)。
    その後、精神的にも体力も限界を感じて自ら帝王切開を望んだが、LDRから手術室に移動する間に子宮口が開いて、赤ちゃんが頭まで出ていた。「このまま切っても出血多量で傷口も大きくなる。赤ちゃんもすでに頭が出ており、押し戻すような状態で子宮から出すのは危険だから、吸引分娩に変更する」と言われた。
    頑張って力めと言われても麻酔をしたので力も入らず…。さらに、児頭骨盤不均衡で吸引でも出せず…。
    おなかをガンガン押された挙げ句、赤ちゃんの心拍数が下がってしまったようで、手術室は怒号が響いた…。「早く小児科の先生呼んで!」「新生児室の空きは…!?」
    何が何だかわからないうちに、赤ちゃんが生まれて来たものの、泣き声が聞こえない…! 仮死状態で、吸引してお尻を叩かれてやっと泣いた長男坊。その後わかったことだが、回旋異常も起こしていたと。「稀に見る難産でした」と助産師さんにも言われました。

    妊娠40週/初めての出産 難産(秋田県/ゆきやまま/33歳)
  • 内出血するほど、助産師さんがおなかを押してようやく出産!

    妊娠34週に切迫早産で子宮頸管の長さが2.2cmになってしまいました。おなかが張って歩けなくなり、36週まで点滴で張り止めをしながらの入院になりました。ベッドで安静にしているほかは、トイレと食事と週2回のシャワーのみの生活に。入院中もかなりおなかが張り、早産にならないかと心配でした。さらに、赤ちゃんが大きめで、エコーの想定体重が34週で3000g、36週で3500gといわれ、骨盤回りも狭いと言われていたので難産も心配でした。
    36週で退院後は毎日歩き回り、雑巾がけもしましたが一向に本陣痛は来ず、前駆陣痛が連日続きました。40週の健診でも出産の気配はなく、子宮口はまだ1cm。4日後に再診して誘発入院の予約をすることになりました。思いきって健診のあと、病院から自宅まで3kmくらいの距離を歩いて帰りました。すると、翌日夜に陣痛が始まりました。最初は生理痛のような重い痛みが不規則にあり、だんだんと間隔が狭くなり、10分おきになったので23時過ぎに車で産院へ。
    夜通し出産は今か今かと思って陣痛であまり寝れずに過ごしたけれど、朝方まで痛みは同じまま。朝には疲労困憊に…。痛みが強くて朝ごはんも食べれなかったのに、子宮口はなんと健診のときから変わらず1cmのままでした。11時過ぎに子宮口が開かないのと、疲労のため、陣痛促進剤を使用することに。その後の内診で大量に破水し、14時前に分娩室へ移動しました。
    私は体力の限界で声が出なくなりました。赤ちゃんの心拍数も落ちてきてアラームが頻発し、酸素マスクや点滴、子宮口を柔らかくする薬などを使われました。先生が再度内診すると、赤ちゃんの頭が大きい&産道が狭いとのこと。スタッフ達が何やら相談し始めましたが、先生が子宮口を刺激したら10cm全開に! その勢いで吸引器を何度も使って赤ちゃんを押したり引いたりしながら、助産師さんがおなかに乗りぐいぐい押していました。会陰切開して、最後の力で3回いきみ、16時前に無事に生まれました! 後から見たら、おなかが内出血していました。

    妊娠40週/初めての出産 難産(北海道/どーどママ/31歳)
  • 微弱陣痛で12時間…出産直後の記念写真が激闘の証拠写真に…

    出産予定日の4日前、お産がいつ来るかとドキドキしながら過ごしていました。その日は家の都合で主人と出掛けて夕方アウトレットに買い物に行き、夕食はイタリアンの食べ放題食べて帰って来ました。
    家に帰りトイレに行くと少し下着が濡れている感じがしたので、私は主人に「破水したかも…」と伝え、クリニックに電話して、慌てて行きました。
    検査の結果、破水はしてなかったので「また自宅で様子を見てください」とのことでしたが、それがきっかけになったのか、その晩から陣痛が始まりました。微弱陣痛で12時間もおなかと腰の激痛に耐えることに…。主人と駆けつけてくれた実家の母と大奮闘の末、無事にかわいい長男を抱くことができました。
    産後すぐは食事がまったく喉を通りませんでしたし、全身筋肉痛でくたくたでした。そのクリニックでは出産直後の写真撮影をしてくれるのですが、お母さんはかわいらしく写ってるのに、私は疲れきった顔で写っていて、後で見て笑ってしまいました。とにかくその日は全国のお母さんを尊敬した日でした(笑)

    妊娠39週/初めての出産 難産(滋賀県/みてぃこ/25歳)
  • 時計がない部屋で痛みに耐える1日…「牢獄」で過ごした難産の思い出

    予定日を過ぎても生まれる気配がなく、入院手続き後すぐに陣痛促進剤の点滴を打たれ、陣痛が強制的に始まりました。10時くらいだったと思います。昼くらいまでは体力的にも余裕があったのですが、夕方になると痛みで夕食がほとんどとれず、もがいている最中に勝手に食事を片付けられてしまいました…。
    さらに、赤ちゃんが下りてこないのでバルーンを入れることに。そんなに痛くないって言ってた先生! 全然痛いし…! ひどい痛みで、そこからは自分が野性の動物にでもなったような感覚になりました。
    陣痛の間隔はだんだん短くなっていきましたが、部屋に時計がなく、自分の腕時計で時間を確認して、旦那にも何度も何度も時間を確認し…エンドレス。なんで、時計がないんだろう? 牢獄に入れられた感じでした。視界に時計があればなにかしら目安を作れるのに、時間がわからないので先のことが全然イメージできず、総合病院でしたが本当に妊婦に優しくない病院としか私には思えませんでした。
    その後、24時になる前に一旦分娩台に乗ったけれど、赤ちゃんが下りて来ず、そのまま日付が変わったときに「いつまでこの痛みと眠さを繰り返すのか」と、涙が出そうになりました…。まさか明け方まで続くとは…。
    悪寒もあって、ただただしんどかったです。看護師さんが背中をさすってくれたのですが、余計に気分が悪くなりました。それがトラウマで、今でも気分が悪いときに背中をさすられると気分が悪くなるほどです。
    さらに、出血もひどくて、もう少しで輸血寸前で産後もぐったりでした。いろいろな不満のせいで「大病院の産婦人科の方がよかったかな」と後悔しました。そんなこんなで生まれた子なので、とても愛おしく、大事で仕方がないのは当然です。

    妊娠41週以上/初めての出産 難産(京都府/りりくん/45歳)
  • 所要時間19時間、分娩台上で8時間の難産…その経過を報告します

    出産前日から当日のことを時系列に沿って紹介します。38週4日7:00 おしるし確認。7:50 夫と朝食食べてたら陣痛開始(10分間隔)。8:00 陣痛アプリ起動(5分~10分間隔)。8:45 病院に電話→1時間様子見てねと。8:50 母に連絡→すっ飛んで来てくれる。9:30 病院に電話→準備して来てねと。10:20 母と病院到着、夫到着。11:00 までNST→夫、母と陣痛室へ。11:30 昼食をほぼ完食。ひたすら(強めの)陣痛と戦う。18:00 高位破水。18:55 分娩室に移動。23:00 人工破水。
    日付変わり、38w5d。子宮口全開するも胎児頭大きくてびくともしない(この時点で羊水全部でてしまってるのに、お嬢の心拍落ちずに、テンション高めと言われる)。分娩台上で、おしっこ、う◯ち、嘔吐の繰り返し。全部垂れ流し。導尿もかなりの激痛。胎児の向きが悪いとのことで、分娩台の上で泣き叫びながら四つん這いに。赤ちゃんの向きを回転させる狙い。陣痛促進のため、いきなり乳首マッサージされ、戸惑う。意識朦朧。途中陣痛が遠のいたのか、自分の意識が遠のいたかは不明。記憶なし。
    記憶が戻ってきたのは激痛再開から。どうにもこうにも娘の頭が出られない。2:30 鉗子(かんし)分娩のため先生登場→麻酔→会陰切開(激痛)。2:40 娘の産声をきいて夫婦で号泣(全身がドゥルンと出た瞬間、感じたことのない激痛!ここが1番の痛み)。
    2:45 胎盤取り出される。2:50 会陰の処置、他。3:50 夫、娘と写真撮影。4:00 立ち会いは夫のみなので、ずっと陣痛室で9時間、1人でウトウトしたりしながらも待っててくれた母と対面。号泣し抱きしめてくれた。4:30 夫、母お家に帰る。5:00 産後初のおしっこで悶絶→産後ハイで眠れず興奮状態だが疲れてその後記憶が曖昧です。

    妊娠38週/初めての出産 難産(千葉県/ノラノラ/36歳)
  • 子宮口が開かない!36時間に渡る長丁場に…

    出産一週間前から前駆陣痛が起こり、20分ごとにおなかが張るので、なかなか夜寝れない日々が続いた。出産5日前に「おしるし」もでて結構量が多くて心配したけれど、それ以降何もなく…。 だんだんおなかが張る感じの感覚が狭くなり、10分間隔になったので病院を受診し、入院することになったが、陣痛が遠のきいったん退院。
    しかし、退院翌日にまた陣痛が起こり、受診して再入院することに。陣痛は続いていたけれど微弱だったので普通に歩けるし、お風呂にも入れるし、本も読めるし、普通に生活していても大丈夫なくらいだった。それゆえ平気だとおもってたら、明け方に破水があり、それから死ぬほど痛い陣痛が始まった。
    最初は陣痛を我慢して頑張っていたが、なかなか子宮口は開かない。時間が経つにつれて痛すぎて寒気は出るし、足はつるし、吐き気は出るしで本当につらかった。子宮口がなかなか開かなくて、陣痛促進剤を使用して、やっと少しずつ開いて出産までいった。36時間はかかった。しんどかった。

    妊娠39週/初めての出産 難産(埼玉県/SOM/37歳)
  • 破水からギリギリ24時間で出産!体力を消耗して途中で失神…

    難産でした。 破水から始まったので24時間以内に産まねばならず、産道が開かなかったので強制的に開くようバルーンを挿入するも全く開かず…。陣痛を促進させるため院内を歩き回るも、「寝てなきゃだめよ!」と知らない女性に諭されてしまいました。しかし、病室へ戻ると「もっと歩かなきゃだめよ!」と母に送り出され…院内で早くも居場所がなくなりました。
    人気のない階段で踏み台昇降運動をし続けたことをよく覚えています、今思えばなぜあんなにも見ず知らずの女性の目を気にしていたのか…出産時はとにかく通常の精神状態ではありませんでした。
    その後、陣痛がだんだんと短くなったものの、重めの生理痛程度の痛みで、そこからが長かった! 破水から20時間後、痛みをこらえて体がこわばり続けて体力消耗し、食事も取れなかったので、低血糖で失神してしまいました。でも、意識が戻ると痛みで息もできない状態だったので、意識を無くしてる方が楽でした。
    深夜で人手が足りず、なかなか看護師さんに来てもらえなかったため「まだまだ本陣痛じゃない、これからもっともっとすごいのが待ってるんだ!」と痛みに耐えていました。看護師さんがきてくれてからは即分娩台へ移動、出産とあっという間でした。まだすごいラスボス(本陣痛)が待ち受けてると思い続けているうちに、知らず知らずの内にラスボスを通過していたようです。
    バルーン等、陣痛促進の処置のおかげかギリギリ破水から24時間以内で出産できましたが、破水による時間制限のない方はこの痛みが自然に生まれるまでずーっと続くのかと思うと尊敬しかありません。 未だにふと出産時を思い出すと、本当に世のお母さんはみんな偉大だと眩しく思います。

    妊娠40週/初めての出産 難産(愛知県/rarara/32歳)
  • 後から来た人にどんどん抜かされて・・・

    予定日より少し早い真夏の暑い夜、私はいつも通り夫と愛犬の散歩に出ていました。この日は時折差し込むようにおなかが痛くなり何度も休憩しながら歩いていました。頭の中では冷静に「もうしばらくこうやって散歩に出れなくなるかな」と愛犬に話しかけていました。夫とは冗談交じりに「もう来ちゃったりして?!」なんてことを話していました。2日前におしるしらしきものがあってから何もなかったのですが、帰宅後も痛みは続き、そういえば定期的に痛みが来てることに気づきました。念のためナプキンをあてて寝ました。就寝後すぐに痛みで目が覚め、さぁーっと流れ出る感覚があったので来た! と確信しました。その後、不思議と冷静になって「入院したら1週間は戻れないだろうから」と冷蔵庫の中を整理したり部屋の片付けをしてから、夫を起こして病院へ連れて行ってもらいました。私にとって出産は初めてのこと。入院も初めてだったのでドキドキでいっぱいでした。その後は痛みがどんどん強くなり途中弱まったりでほぼ丸一日かかって、大変な出産となりました。後から入院してきた人たちに次々と抜かされそのたびに分娩室からの赤ちゃん産声を聞き、とうとう最後になってしまいました。私だけではなく夫も母も疲れきってダウンしてしまいました。

    難産(東京都/M.T/44歳)
  • 「まれに見る難産」と有名に

    臨月に入ってしばらく入院し安静にしていたせいか、予定日になってもおなかが張ることさえなかった私。病院の方針で、もし予定日を1週間過ぎても兆しがなければ、入院して子宮口を広げる処置をし陣痛誘発剤を使って出産すると言われました。そして1週間後入院することに。子宮口を広げる処置をするといきなり5分間隔の陣痛が来ました。大慌てでLDRに行き、これでお産が進むと思っていたのですが、なんと15時間経っても全く進まず陣痛促進剤を使うことになりました。その後薬が効いて2分間隔の陣痛が来たものの、8時間経っても子宮口が4cm以上開かないまま破水してしまい、緊急帝王切開になってしまいました。無事手術が終わったときにはホッとして涙が出ました。先生にも助産師さんにも、まれにみる難産だと有名になってしまいました。今娘は5ヶ月。親子共元気いっぱいです!

    難産(愛知県/S.R/26歳)
  • 3つの悪条件にもがんばった息子

    子どもの頃から体格が良いと言われていた私。安産だろうなぁ、と勝手に思っていました。実際は予想していなかった難産! 陣痛だけでも24時間以上あったんですが、分娩が更に大変でした。実際に分娩台に乗り、いきみ始めてから分かったのですが、3つの悪条件が重なっていたんです。(1)回旋異常(赤ちゃんが回転しない) (2)赤ちゃんの頭が大きめ (3)陣痛が急に弱くなってしまった困難な条件がズラーッ! っと揃ってしまった状況。「せーの、うーんっ!!」 ・・・といきんでも全然出てこない。「もっと頑張っていきんで!!」 そう先生や看護婦さんに言われながら、必死で何回も何回もいきみました。・・・でも出てこない。正直、痛くて「もうヤダ!」と思ったり。でも赤ちゃんは私以上に頑張ってるんだもの、ヤダなんて言ってられない! 早く生まれないと赤ちゃんが危険なので、看護婦さん2人におなかを絞り出すように押され、先生に鉗子で引っ張ってもらうこと数十分。「生まれた~!」・・・でも、泣き声が聞こえないんです。先生と看護婦さんが呼吸をさせようと一生懸命に赤ちゃんの背中をたたく音が聞こえる。そして7分後。「うぎゃ、うぎゃ~!」無事、泣き声が聞こえました。ホッとしたのもつかの間。呼吸するまでに時間がかかってしまったので数時間後にはNICUのある病院へ赤ちゃんだけ入院することになりました。その後、入院も2週間だけで済み、無事退院した息子は3ヶ月に入り元気にスクスク育っています。あの時一番頑張ったのは息子だと思います。

    難産(神奈川県/T.M/28歳)
  • せっかく練習したのに・・・

    長男のお産の時、勉強不足で呼吸法もろくに分からず、太り過ぎもあいまって難産でした。ただただ辛いだけのお産になってしまったので、その反省から、次男の時は出産前から呼吸法をイメージして練習。実際陣痛が来た時には痛みをうまく流せている、と思いながら頑張りました。長男の時よりずっと楽だったので。なのに何故か難産…。子宮口全開になって分娩室へ入り何度もいきんだのになかなか頭が出てこなくて、あげくに助産婦さんがひそひそと「微弱陣痛だったのかしら?」。今まで楽だったのは、自分の努力のたまものだったんじゃないの~?

    難産(岐阜県/S.K/31歳)
  • 子宮口よ、早く開け!

    朝起きたとき、おしるしが来ました。が、痛み出す気配なし。その日の夜にだんだんと痛みが増し、間隔も短いので病院に行きました。がっ、まったく子宮口が開いていない。けど、痛みは5分間隔なのでそのまま入院しました。パパも必死に背中をさすってくれています。昼になっても開かない。家族皆駆けつけて大騒ぎ。こっちは必死に痛みと戦っているのに。夜になってやっと1cm。けど、生まれる気配はない。その間もずっとパパは背中をさすってくれています。心強い。夜になっても開かない。朝になっても開かないで2日目。やっと3~4cmですが生まれない。やっぱり5分間隔は変わらず。バルーンも試したけど駄目。夜になってもまだ。私もパパも5分の間に眠りながら痛みと戦ってました。看護婦さんにパパ帰ってと言われてもずっとそばにいてくれていました。3日目、痛みも限界です。私も赤ちゃんも体力がなくなってきています。昼になってやっと9cmになり、分娩台へ。そこからもまだ長い。上がってからも寝ながら痛みに耐えていました。限界ということで促進剤を打って、産むことに。やっと3日目の夕方、元気な赤ちゃんを産むことが出来ました。出てきたときは言葉にならないくらい嬉しかったです。良かったと思える瞬間。けど、こんなに苦しんだのに、産んだ後は体がハイテンションなんです。眠気も疲れもなく、スタスタと病室までいけるんです。不思議。私もパパもすごく頑張った3日間でした。

    難産(茨城県/O.M/28歳)
powerd by babycome