3.17の日記
- 2019-03-15 09:10
- 一般公開
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偶然、広い避難所で同じ町内の家族と隣り合わせになりました。
その家族は私なんかよりずっとずっと大変な体験をして逃げてきました。
自宅は避難所に指定されるくらい海から30mくらい高い所にありました。
でも今回の津波はそれを越えて襲ってきたそうです。
じわじわと足が水につかり、死を覚悟した時、歳の離れた3人目の一才の娘を産んだ事を後悔したそうです。
『こんなに早く死んでしまう命、可愛そうだ…』と。
それから家の裏の山に自力で登って、小さい神社の蔵に雪が降る寒い夜を家族寄り添って耐えたと。
翌日、津波が引いた荒れ果てた道無き道を、幾つもの遺体を見ながら30キロ以上歩いて逃げてきたそうです。
その夜、ショックで20才の長男と小学生のお姉ちゃんは嘔吐し、一才の女の子は夜中に泣き叫びました。
小学生のお姉ちゃんは被災した日のことを決して話そうとしません。
未だに親類と連絡がとれないでいます。
今日、歌津から私たちの避難所に来た友人は今でもそこら中に遺体がぷかぷか浮いてるらしいです。
誰が誰だか、確認なんて不可能なほど。
その家族は私なんかよりずっとずっと大変な体験をして逃げてきました。
自宅は避難所に指定されるくらい海から30mくらい高い所にありました。
でも今回の津波はそれを越えて襲ってきたそうです。
じわじわと足が水につかり、死を覚悟した時、歳の離れた3人目の一才の娘を産んだ事を後悔したそうです。
『こんなに早く死んでしまう命、可愛そうだ…』と。
それから家の裏の山に自力で登って、小さい神社の蔵に雪が降る寒い夜を家族寄り添って耐えたと。
翌日、津波が引いた荒れ果てた道無き道を、幾つもの遺体を見ながら30キロ以上歩いて逃げてきたそうです。
その夜、ショックで20才の長男と小学生のお姉ちゃんは嘔吐し、一才の女の子は夜中に泣き叫びました。
小学生のお姉ちゃんは被災した日のことを決して話そうとしません。
未だに親類と連絡がとれないでいます。
今日、歌津から私たちの避難所に来た友人は今でもそこら中に遺体がぷかぷか浮いてるらしいです。
誰が誰だか、確認なんて不可能なほど。
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