The Saunders Familyお子さんは生後 7歳 11ヶ月(2894 日目)

育児での気づきを感じたままに書いています。 マミオが母になれたのは ダディオのおかげでニナとユナが産まれてきてくれたおかげです。 感謝の心を忘れずに だけど 正しさだけにとらわれた育児にはならないように 自由に柔軟に生きていけたらいいなぁと そんなことを思いながらブログを書いています。 コメントの返信は気まぐれにしています。 返信があってもなくても 自由に使ってもらえると嬉しいです。

優しい言葉かけの極意

  • 2019-02-21 18:12
  • 一般公開
  • テーマ:マミオの発見
最近ニナに対しての言葉かけが優しくなった

5年前の私が
こんなこと言えたらいいなって思ってたことが
ついポロッと言えるようになった

不思議なのは
意識して言ってないのだ

気づいたら、ポロッと
優しい言葉が
口から出ていたような感覚

優しい言葉を言うぞ!みたいな
意気込みなんかも全然なくて

むしろ心のどこかで
優しくなくていい
自分の感情をコントロールせずに
出たとこ勝負
みたいな気持ちでいる





優しい言葉をかけたいとか
優しい母になりたいとか

そう願っていた頃は

優しくない自分が基本の自分で

だからこそ
優しくなりたいって思ってた

でもそう願うことで
逆に
優しくない自分にフォーカスしてたところがある

私は
優しくない母
だから
優しい母になりたい

そういう方程式みたいなものが
自分の中に勝手に出来上がっていた

だから
優しくなりたいと願えば願うほど
どんどん優しくなれなくて

なんで優しくなれないんだろうって
自己嫌悪の渦に巻き込まれていた

あの当時の自分は常に
自分は優しくないと思ってた

世の優しいお母さん達は
いつも優しい母でいるのが基本なんだと思ってたから
優しくない母の一面が出ると
なんで私はこんなにダメなんだって
自分を責めてた

でもそれって実は

どんだけ〜?である

理想高すぎかっ!笑

基本いつも優しい、とか
無理だわ!笑


じゃあ
今私の中にある方程式は
どうなのかと言うと


私は私
だから
優しくない母でもあるし
優しい母でもある

に変わった

今は私の中に
優しい母と優しくない母の
どちらもある


こうやって書くと
当たり前のように聞こえるけど

でも
この当たり前が実は一番難しくて
見えにくかったりする


人間誰しも
優しい時と優しくない時があって当然なのだ

どちらもあるから
バランスが取れてるのに

どっちかだけになりたい!
って具合に
優しい母だけでいたい!
と思ってた私って、、、、

無理にも程がある



じゃあどうやって
考え方を変えて
優しい言葉が出るようになったかと言うと

優しくない自分を責めなくなったこと

いや、ちょっと違うかな

優しくない自分を責めたことがあっても
必ず最後に
こんなに優しくない母でも
私はこんなに家族から愛されてるっていうのを
毎回自分に言い聞かせてた

言い聞かせてたって言うと
まるで家族から愛されてることを疑ってるように聞こえるけど

自分を責めてる時って
そういう現実が見えてこなかったりするから

ちゃんと自分に言い聞かせてあげて
どんだけ自分が家族から愛されてるかを気づかせてた

すると不思議なんだけど
だんだんと自分を責めることが減ってきて

優しくない母を受け入れるようになってきた

まるで
優しくない母おかえり〜!って言うような
そんな気持ちだった

自分の汚くて惨めな部分を受け入れるような
そんな感覚だった

それが出来るようになって

さっきも出たけど
感情をコントロールせずに
出たとこ勝負
っていう気持ちでいられるようになった

この出たとこ勝負を説明すると

心の中にサイコロがあって

サイコロの目に
優しい母と優しくない母が書かれてあるとしたら

前は優しくない自分にフォーカスしてたし
優しくない母が基本の自分だったから

サイコロの目には
優しくない母ばかりが書かれてた

だから
どんなに転がしても
出る目は優しくない母ばかり


でもそれが
今は優しくない母も優しい母もあるって知ってるし
どっちもあっていいんだって思えてるから

サイコロの目には均等に
優しくない母と優しい母が書かれてる

だから以前と比べて
優しい母の目が出る確率が上がったのだと思う

それと
優しくない母の目が出ても
もう自分を責めたりしなくなったのも
優しい母の目が出る確率を上げているように思う

そしてこれが
優しい言葉かけの私の極意なんだと思う
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