宮城県南部沿岸部の実家の墓まり
- 2018-04-16 12:35
- 一般公開
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嫁ぎ先宮城県北部沿岸部の自宅は東日本大震災で全てを流失しましたが、宮城県南部沿岸部実家宅もまた流失しました。
年に1回程度しか墓まりに来れませんが、年に1回は必ず来たいと思っています。
先日の休みに家族で久しぶりに来れました。
嫁ぎ先は町が流失したとあって、現在も沢山の人と沢山の重機がせっせと工事をすすめていますが、実家跡地は全く人気がありません。
今でも震災当時のまま壊れた家も点在しています。
海から徒歩5分程度の所なので、居住制限された地域のため、修復して住んでいる方が数える程度しかいません。
殆どは内陸へ再建しました。
お寺の建物には瓦礫が突き刺さったまま当時の浸水区域を示しています。
自宅があった場所には土が盛られ、これからどうなるのかな?もう、自分が住んでいた場所は分からなくなりました。
中学、高校と過ごした実家。
よく犬と散歩した道。
お姉ちゃんは震災にあう4歳までにちょくちょく泊まりに来ていたので実家の記憶がありますが、妹は震災当時8ヶ月なので記憶は一切ありません。
変わっていく景色。
変わらなければならない土地。
想い出の写真も流失し、私の記憶以外何も残らない場所。
私の過ごした場所。
年に1回程度しか墓まりに来れませんが、年に1回は必ず来たいと思っています。
先日の休みに家族で久しぶりに来れました。
嫁ぎ先は町が流失したとあって、現在も沢山の人と沢山の重機がせっせと工事をすすめていますが、実家跡地は全く人気がありません。
今でも震災当時のまま壊れた家も点在しています。
海から徒歩5分程度の所なので、居住制限された地域のため、修復して住んでいる方が数える程度しかいません。
殆どは内陸へ再建しました。
お寺の建物には瓦礫が突き刺さったまま当時の浸水区域を示しています。
自宅があった場所には土が盛られ、これからどうなるのかな?もう、自分が住んでいた場所は分からなくなりました。
中学、高校と過ごした実家。
よく犬と散歩した道。
お姉ちゃんは震災にあう4歳までにちょくちょく泊まりに来ていたので実家の記憶がありますが、妹は震災当時8ヶ月なので記憶は一切ありません。
変わっていく景色。
変わらなければならない土地。
想い出の写真も流失し、私の記憶以外何も残らない場所。
私の過ごした場所。
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