ベビカムリサーチ「東日本大震災と妊娠・子育てについて」

2016年3月11日〜3月18日実施

2011年3月11日に発生した東日本大震災(以下震災)について、ご自身や身の回りで起こったことで、特に記憶に残っていること、忘れられないことがあればお書きください(自由回答:359件)

※頂いたコメントをそのまま掲載しています(一部表記の修正や、個人・企業名等の特定につながる記述の修正を行っています)。
  • 34歳女性北海道

    仕事中、とっても揺れた。家族に連絡をとろうにも繋がらず不安だった。

  • 41歳女性北海道

    あの日は体調が悪く寝ていました。 凄い揺れで起きたのを覚えています。 そのあと、TVを付けて愕然としたことを思い出します。

  • 36歳女性北海道

    仕事中に地震になり、帰宅したら壁掛け時計が落ちて壊れていただけだった。ペットが無事だったのでホッとした。それから津波のニュースを知って驚いた。仙台の友達に連絡したけれどつながらず心配した。返事が来たのは5日後で無事を確認できた。食べ物が調達できなくて困っていて、子どもがいたので不安なんだろうなとまた心配した。

  • 37歳女性北海道

    映像を見てショックが大きくて熱が出た。1週間ほど寝込んだ。

  • 45歳女性北海道

    それほど揺れなかったので、テレビで東北の映像を見てびっくりした。

  • 29歳女性北海道

    原発事故

  • 31歳男性北海道

    電話がつながらなくて、東京に住んでいた家族のことが心配だった。

  • 32歳女性北海道

    テレビ中継で映し出された、津波が全てをさらっていく映像。

  • 39歳女性北海道

    私の地域は地震のない地域なのに揺れたし仕事が休みでTVを見ていたら信じられない光景を見て衝撃的だった事

  • 39歳女性北海道

    仕事で出張中、群馬県高崎市にいました。ホテル宿泊でしたが、時々揺れもあり不安でした。なんとか列車も動き帰れましたがコンビニやスーパーで特定の商品が品切れ状態だったり、電灯の消灯によって非常時であることを意識しました。

  • 30歳女性北海道

    地震発生時職場のテレビで津波の映像をひたすら見ていたこと

  • 31歳女性北海道

    北海道で運送屋の事務をしていました。北海道にも揺れがありましたがそこまでではありませんでした。大洗港にある事務所からその後電話があり、激しい揺れがあったこと、このままここにいるのは危険なので事務所を空けて逃げるという旨連絡がありました。 その時はなにがどう危険なのかはわかりませんでしたが、その後、映像等で大洗の様子を確認して青ざめました。事務所の人間は全員無事脱出できましたが事務所は水浸しの全壊でした。

  • 34歳女性北海道

    震災時は秋田にいましたが、オール電化のマンションで停電になってしまい大変でした。

  • 31歳女性北海道

    当日、勤務中で、勤務先の病院で安全確認をしたこと。

  • 28歳女性北海道

    地震直後のテレビの映像。人や車、建物が津波に飲まれていく映像。

  • 32歳女性北海道

    連絡がつかない

  • 29歳女性青森県

    知り合いが脚立から降りたところで、危なかった

  • 29歳女性青森県

    建物の中に大切な人がいたのに怖くて助けに行けなかった。足が動かないという経験はあの時は人生であの時だけ。

  • 34歳女性岩手県

    当時海浜幕張の高層ビルで働いていましたが、高層階の揺れの気持ち悪さと周辺の液状化現象、道路の大渋滞が記憶に残ってます。

  • 31歳女性岩手県

    あと1本遅い新幹線に乗っていたら、新幹線の中で身動きが取れなくなっていたこと。

  • 29歳女性岩手県

    家族で居間でライフラインが戻るまで川の字で寝た

  • 31歳女性宮城県

    おむつがなくて困っていた。おしり拭きもなかった。(買えなかった)

  • 35歳女性宮城県

    当時私はシングルマザーで6歳の子どもを育てていました。 看護師をしていたのですが、震災が起きた日は夜勤がありました。 内陸でしたので大きな被害はありませんでしたがライフラインが停止し、お店も人が殺到して何も商品がないという状況でした。 夜、子どもが不安がっている中、私は夜勤があるのでどうしても仕事に行かなければいけません。 祖父に頼んで子どもを見てもらいましたが、子どもは私と離れるのをとても不安がっていたのを覚えています。 「言うこと聞くから、いい子にするからお仕事に行かないで」と言われ、後ろ髪引かれる思いで仕事に行った記憶があります。

  • 31歳女性宮城県

    当時、静岡県に住んでおり子どももいなかったので、自分の身を守ることだけ考えていればよかったので被災地の映像を見るたびに心が痛みました。影響があったといえば輪番停電くらいです。

  • 30歳女性宮城県

    関東の方でトイレットペーパーなどの買い占めがあったせいで被災地の分が足りなくなった。

  • 28歳女性宮城県

    ライフラインが途絶えてしまい、何もできなかった。ラジオで流れてくる話があまりにも信じられなくて怖かった。(荒浜で何百人もの遺体があると流れていた。)

  • 34歳女性宮城県

    たくさんありすぎて文に表せられないのが本音です。

  • 29歳女性宮城県

    自宅への帰宅中信号が機能せずルールのない状態だった。自宅近くまで帰ってきたが、かえれず駐車して降りたら車が津波で流されてた。 主人は徒歩7時間かけて自宅へ帰ってきた。津波で水没したところを避けてきたが自宅付近まで来ると腰上まで水に浸かり途中消防車に保護され自宅に帰ってきた。 子どもは、仕事だったので妹に預けてましたが部屋の本棚、食器棚が全部倒れてガラスだらけで歩くとこもないような部屋で無事だった

  • 30歳女性山形県

    卒業旅行で秋保温泉に泊まった帰りの高速道路で地震が。道路が隆起して通行止めに。警察の誘導でバックで高速を下りたものの、下道がわからない運転手さんは迷子でいろんな道を右往左往。結局仙台まで戻り。普段は一時間で着くのに、12時間かかって帰宅した。 無事に帰れて良かった。

  • 43歳女性福島県

    屋根から瓦が落ちてきた

  • 44歳女性福島県

    震災の少し前に入籍し、春には福島県内に転居する予定でしたが、新幹線も止まり、原発事故もあり、1年延期して、翌年転居しました。 震災直後、私が勤めていた会社の配慮で、主人と家族を関西の私の実家に一時避難させました。私も実家に行きましたが、在宅勤務しました。当時人事部で給与を担当しており、3月の給与はもちろん、期末賞与、4月の昇級など、一年で一番忙しく煩雑な業務を在宅で行うという初めての経験をしました。 震災後ですが、自分が福島県民になり、震災や原発事故が他人事ではない毎日を過ごしています。

  • 41歳女性福島県

    卒園式が延期になった

  • 38歳女性福島県

    とにかく怖かった

  • 38歳女性茨城県

    震度6の地域でした。津波もなく家も無事でしたが、しばらく電気水道が止まっていました。寝るときも服を着たまま、すぐに逃げ出せるように靴と非常袋を横に置いていました。 水の大切さを痛感しました。米を研ぐのもトイレを流すのも顔を洗うのも、全て水が無ければ出来ません。

  • 33歳女性茨城県

    仕事中(助産師)で赤ちゃんを沐浴終了直後、お湯から赤ちゃんをあげた直ぐに突然揺れだし、赤ちゃんに覆いかぶさりながら必死に赤ちゃんを守りました。揺れが治まると沐浴槽のお湯が半分以上外に溢れて、辺りが水浸しになっていました。もし沐浴中に地震が起こっていたらと思うとゾッとします、、

  • 40歳女性茨城県

    夜勤の仕事へ行く支度をしている時に地響きと大きな揺れがあり、急いで上の子どもを小学校まで迎えに行きました。全員校庭に避難しており安心したのを今でも思い出します。

  • 38歳女性茨城県

    電気、水が使えなくなり 大変だった 子どもがまだ乳児だったので いろいろと大変だった

  • 39歳女性栃木県

    電車が止まって会社から数日間帰ってこられなかった

  • 33歳女性栃木県

    私の実家が仙台にあり、私以外の家族が被災しました。兄のことを見直した、というのが特に記憶に残っています。 兄は当時東京に住んでいたのですが、ちょうど帰省していたところ震災に遭いました。地震が起きてすぐに祖母の家に駆けつけ、水が止まる前にとお風呂に水を溜めるなどてきぱきと動いていたそうです。また、消防局に勤める父は帰宅することができなかったため、我が家唯一の男手として活躍したと聞きました。 のんびりマイペースな印象の兄でしたが、兄が実家にいてくれることがとても頼もしく感じ安心しました。

  • 37歳女性栃木県

    すごい揺れで階段が揺れて一階に降りられなかったこと。

  • 33歳女性栃木県

    震災でガスが止まり自分の子どもが粉ミルクを飲んでいて卓上コンロも無くお湯を沸かす事が出来なくて、本当に困ってしまい病院に行っても余分にお湯は無いと言われたが少しだけ分けて貰えミルクをあげることができた。 その後にコンロを買おうにも何処も売り切れで売ってなくて、なんとか電気が復旧してお湯を沸かす事ができたこと。 近所の面識の無い方にも乳児がいるとお湯を分けて貰えたこと忘れることはできません。

  • 33歳女性栃木県

    自分が経験した一番大きな地震だったので、とても怖かったです。 翌日の朝まで停電していたので、オール電化の我が家はお湯も沸かせずにとても不便でした。 翌朝のニュースであんなに被害が大きかったことを知り、とても衝撃を受けました。

  • 31歳女性栃木県

    帰宅困難になった

  • 37歳女性栃木県

    2歳になったばかりの子を抱え、放射能に怯え避難しましたが、自宅が火災に遭い、命以外は全て失いました。放射能の危険がなければ、復興はもう少し希望のあるものになるのでしょうが、天災に加え未曾有の人災まで重なっては、復興は大変苦しいものになると思います。ただ、このような天災を前にし、命のあること、家族がいる幸せを今は日々噛み締めながら一歩ずつ進んでいます。

  • 37歳女性栃木県

    停電

  • 38歳女性栃木県

    停電や塀が倒れたりと町中が痛々しかったこと

  • 31歳女性栃木県

    結婚が決まって3週間くらいの時に地震が起こりました。幸い、私の家は計画停電以外は停電しませんでしたが、とても不安な日々を過ごしました。結婚するということを心の支えにしていました。

  • 36歳女性栃木県

    実家の家業が地震の影響で営業できなくなり倒産したこと。水不足になったこと。自宅付近の放射能濃度が高く、食べるものに気を遣ったこと。

  • 33歳女性群馬県

    買い占め

  • 32歳女性群馬県

    あんなに長くて大きな地震は初めてで、とても怖かったです

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