また一つ、見慣れた風景が消えました
- 2017-07-18 13:23
- 一般公開
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伊里前川に架かる汐見橋は、
アザラシが来たことをきっかけに「うたちゃんばし」と呼ばれるようになりました。
2002年9月
当時、東京の玉川にアザラシが数日間居ついて「たまちゃん」と名付けれて話題になっていた頃、ここ南三陸町歌津の町中になる伊里前川にもやってきました。
名前を「うたちゃん」と名付けて町中の人が見に行ったそうですが、「うたちゃん」はすぐにいなくなってしまいました。
それ以来、「うたちゃん」が遊びに来た川にかかる橋を「うたちゃんばし」と呼ぶようになりました。
そのうたちゃん橋は東日本大震災の波を受けても、高欄部分は壊れたものの、橋そのものは壊れませんでした。
震災後の車が通れましたが、道路の復興や、町づくりのために壊すこととなりました。
この写真を撮った日に、橋は全部なくなりました。
写真を撮る時も、無くなってからも娘と見に行きました。
「仕方ないことだけど、なんか寂しいね」
娘はボソッと言いました。
自分の生まれ育った町がどんどん変わっていく事を、震災後4歳から見続けている娘には、どんな風に感じているのでしょうか。
この子が大人になっても「懐かしい」風景が出来上がることを祈ります。
アザラシが来たことをきっかけに「うたちゃんばし」と呼ばれるようになりました。
2002年9月
当時、東京の玉川にアザラシが数日間居ついて「たまちゃん」と名付けれて話題になっていた頃、ここ南三陸町歌津の町中になる伊里前川にもやってきました。
名前を「うたちゃん」と名付けて町中の人が見に行ったそうですが、「うたちゃん」はすぐにいなくなってしまいました。
それ以来、「うたちゃん」が遊びに来た川にかかる橋を「うたちゃんばし」と呼ぶようになりました。
そのうたちゃん橋は東日本大震災の波を受けても、高欄部分は壊れたものの、橋そのものは壊れませんでした。
震災後の車が通れましたが、道路の復興や、町づくりのために壊すこととなりました。
この写真を撮った日に、橋は全部なくなりました。
写真を撮る時も、無くなってからも娘と見に行きました。
「仕方ないことだけど、なんか寂しいね」
娘はボソッと言いました。
自分の生まれ育った町がどんどん変わっていく事を、震災後4歳から見続けている娘には、どんな風に感じているのでしょうか。
この子が大人になっても「懐かしい」風景が出来上がることを祈ります。
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